祝・創立50周年記念スペシャル号 愛川町スポーツ協会情報誌「Sports Aikawa ~健康な光~」

更新日:2025年09月15日

創立50周年を記念し"スペシャル号"を発行!!

1975年(昭和50年)、11の種目協会の加盟により設立した愛川町スポーツ協会は、2025年(令和7年)に創立50周年を迎えました。

現在では21の種目協会が加盟し、会員数は約2,000名の組織となり、各種大会やスポーツ教室の開催、「あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル」や「愛川町一周駅伝競走大会」などのスポーツイベントに実行委員会の一員として運営に当たるなど、「町民みなスポーツの町」を宣言している愛川町で、スポーツの振興、スポーツの推進に寄与しています。

2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル

(上)2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル「みんなでラジオ体操」

オリンピアン・森久子さんのバドミントン教室

(上)スポーツセミナー「オリンピアン・森久子さんのバドミントン教室」

創立50周年記念事業の一環として、9月15日(月曜日・祝)に情報誌「Sports Aikawa ~健康な光~」”スペシャル号”を発行しました。本号は、町の公共施設などに配架しているほか、PDFファイルを下記からダウンロードもできます。

このページには"スペシャル号"未掲載の内容も掲載!

本ページには、"スペシャル号"に掲載した次のコーナーについて、誌面未掲載の内容も含め、再構成をして掲載します。

  • 町出身!“Z世代選手”インタビュー 田中幹也選手(中日ドラゴンズ)
  • 町出身!“Z世代選手”インタビュー 牧野謙心選手(湘南ベルマーレフットサルクラブ)
  • 会長三代 ~歴代会長座談会~

町出身!“Z世代選手”インタビュー 田中幹也選手(中日ドラゴンズ)

プロフィール

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)
田中幹也(たなか・みきや)

愛川町中津出身の24歳。

「中津リバーズ」で野球を始め、東海大学菅生高等学校、亜細亜大学を経て、2023年にドラフト6位で入団。

2024年、開幕スタメンの座をつかみ、3年目の今季は二塁手としてレギュラーに定着。「令和の忍者」と呼ばれ、スーパープレーを連発する守備と、足の速さが持ち味。

Q&A

田中幹也選手には様々な質問に回答していただきました。また、田中幹也選手が小学生の時に所属していた中津リバーズの現役部員からの質問にも答えていただきました。

※「中津リバーズ部員からのQ」と記載されている質問が、中津リバーズ現役部員からの質問です!!

Q 現在の活動状況

今のところ1軍で元気に頑張ってます!

この先もスタメンで試合に出れる様に頑張ります!

Q 野球を始めたきっかけと魅力

父が野球をやっていたので、その影響です。

魅力は、ピッチャーなら三振を取った時、バッターならホームランを打った時、その気持ちよさだと思います。

Q 自身の強み

守備と足の速さが強みです。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

Q プレーで大切にしていること

楽しくやることです。

「つまらない」と思ったら終わりなので、楽しんでやっています。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

Q 愛川町で影響を受けた人物

ヤクルトのピッチャーだった村中恭兵さんです。同じ「中津リバーズ」出身で、子どもの頃は村中さんみたいになりたいと思って野球をやっていました。

村中恭兵さん

(「2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル」に講師として参加者に野球を教える村中恭兵さん。)

Q 自身のターニングポイント

大学4年生の春に日本一になり、MVP(最高殊勲賞選手)を取りました。「もしかしたらプロを目指せるのかも」と思い始めた頃です。

もちろん、子どもの頃からプロ野球選手になりたかったのですが、現実問題として「難しいな」と思っており、社会人野球を目指していました。

MVPを取ったことが、自身のターニングポイントになったと思います。

Q 子どもの頃から俊足だった記録※が残っていますが、走ることも好きだったのでしょうか。また俊足をプレーに生かす思いはありますか。

走るのは好きと言うより得意でした。子どもの頃に盗塁してアウトになったことはなかったと記憶しています。

やはり足の速さは自分の強みなので、プレースタイルに影響があると思います。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

※三増公園陸上競技場の小学生100mの最高タイ記録に田中幹也選手の記録が残っています。

【中津リバーズ部員からのQ】 中津リバーズにいた時、どういった練習メニューをしていましたか? 週に何回練習していましたか?素振りは、どのぐらいしていましたか?

まず最初に校庭2周ランニングして、キャッチボールして、ノックして、バッティングして…そんな感じだったと思います。

週に2回、土日だけ練習がありました。

素振りは、遊んで帰って来た後、ご飯を食べる前、毎日30分ぐらいしていました。

【中津リバーズ部員からのQ】 田中選手の守備はファインプレーが多いです。ファインプレーをする時には、どのようなことを考えているのですか?

入ってくれ~ 投げる時もアウトになってくれ~と。あまり考えてないです。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

【中津リバーズ部員からのQ】 なぜプロ野球選手になったんですか?また、プロになった今の夢は?

プロ野球選手になったのは、かっこいいからじゃないですか?

かっこいいと思って見ていたので。

今の夢はドラゴンズで日本一になる事です。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

【中津リバーズ部員からのQ】 どうやったら足が速くなるのですか?

元々足は速いのでわからないけど、いっぱい鬼ごっことかして遊んだら早くなるかも。楽しみながらが良いと思います。

田中幹也選手(中日ドラゴンズ提供)

愛川の子どもたちへのメッセージ

子どもの頃は、いっぱい遊びました。素振りと宿題は欠かさずやっていましたが、家に帰ってカバンを置くと、すぐに校庭へ戻って遊んでいました。

みなさんも、いっぱい外で遊んで、いっぱい勉強して、毎日を楽しく元気に過ごしてください。

町出身!“Z世代選手”インタビュー 牧野謙心選手(湘南ベルマーレフットサルクラブ))

プロフィール

湘南ベルマーレフットサルクラブ牧野謙心選手
牧野謙心(まきの・けんしん)

愛川町中津出身の23歳。

「ハリマオサッカークラブ」でサッカーを始め、「P.S.T.Cロンドリーナ」に加入後、中学生から本格的にフットサルに取り組む。

2020年、Fリーグ(日本フットサルリーグ)のトップチーム「湘南ベルマーレフットサルクラブ」に昇格。2021年にはフットサル日本代表候補に選出される。

「湘南の抜刀斎」のキャッチフレーズで、相手のボールを奪う、闘志あふれるアグレッシブなディフェンスが持ち味。

Q&A

2025年6月12日、「小田原アリーナ」を訪れ、練習後の牧野選手にインタビューしました。

牧野謙心選手

Q 現在の活動状況

基本的に週1度、土曜日または日曜日にリーグ戦※に臨みます。

チーム練習は午前中。土曜日が試合の時は火曜日から金曜日まで、日曜日が試合の時は火曜日から土曜日まで練習をしています。

※今シーズン、湘南ベルマーレフットサルクラブが所属するFリーグ(F1)は、レギュラーシーズン(12チームによるリーグ戦)が2025年5月31日~12月29日、ファイナルシーズン(上位6チーム・下位6チームの2グループによる、年間優勝チーム・F2リーグ降格チームを決定するリーグ戦)が2026年2月14日~3月1日に行われます。また、リーグ戦とは別に、全日本フットサル選手権大会が2026年3月に行われます。詳しくはFリーグホームページをご覧ください。

Q フットサルを始めたきっかけ

愛川町の友達がきっかけです。小学1年生の時に入った「ハリマオサッカークラブ」のチームメイトが、Fリーグ「フウガドールすみだ」の甘利斗亜(あまり・とうあ)選手でした。当時からフットサルを知っていた甘利選手に誘われたのがきっかけで、小学4年生の時に始めました。湘南ベルマーレフットサルクラブの試合を初めて観に行ったのもその頃です。

牧野謙心選手

Q フットサルを選んだ時

小学5年生の時、自分の成長のため、湘南ベルマーレフットサルクラブの下部組織の「P.S.T.Cロンドリーナ」(ロンドリーナ)に移りました。ロンドリーナではサッカー・フットサルの両方をやっていましたが、フットサル選手になりたいとはあまり思っていませんでした。

サッカーよりもフットサルの方が面白いなあと思い始めたのは、小学生最後の時で、中学生から本格的に取り組むようになりました。

中学校3年間も、ロンドリーナではサッカー・フットサルの両方をやっていて、メインはサッカーでした。でも、自分はフットサルがやりたくて、ロンドリーナの高校生のユースチームはフットサルチームだけだったので、そのチームに所属したいという思いがありました。

高校生になってユースチームに所属してからは、フットサル一本で、今に至ります。

Q フットサルの魅力

試合展開がとても速いところが魅力です。見ていても飽きません。

選手がたくさん交代できるところもフットサルならではだと思います。この選手にはこのポジションの選手を付けようとか、自分のチームの選手が変わったら相手チームの選手も変わってきたり、そうした監督同士の駆け引きも、フットサルの面白いところです。

また、小学生の時にすごく魅力に感じたのは、トップチームの選手達と気軽に触れ合える、交流ができるところです。その頃、トップチームの選手からもらったシューズケースは、まだ使っているんです(笑)。トップチームに憧れがあったので、今、自分が同じ舞台に立てていることはすごく嬉しいですし、自分のサポートをしてくれた母も嬉しいだろうなと思います。

湘南ベルマーレフットサルクラブ牧野謙心選手

Q 自身のプレースタイルと強み

自分のポジションは「フィクソ」。サッカーで言うところのディフェンダーで、ゴールキーパーとは密に連携を取りながら、守備の役割分担をしています。

プレーでは結構ぶつかるのが好きというか、自分より大きな選手に体を当ててボールを奪ったり、決定的なシュートを打たせないようにしたり…アグレッシブにディフェンスを行ところが強みだと思います。

牧野謙心選手

Q プレーで大切にしていること

目の前の選手に負けないことです。ひとりひとり剥がされていくと数的にも不利になるので、まずは負けないこと。

また、試合中によく考えていることは、一番後ろからチームを見ているので、全部自分がカバーするぐらいの気持ちで、誰が抜かれたとしても、いつでも守ることができるポジションがフィクソなので、何があっても失点しないことを心がけています。

湘南ベルマーレフットサルクラブ牧野謙心選手

Q 印象に残っている試合

2つあります。

1つは、チームが準優勝した「第28回全日本フットサル選手権大会」(2023年)の準決勝(名古屋オーシャンズ戦)です。

開始早々点を取られるなど立ち合いが悪く、前半は0-3だったんですけど、ハーフタイム中は「いけるよ!」って諦めない雰囲気で、そこからひっくり返して6-6になって、PK戦で劇的に勝利を収めた試合でした。

もう1つは、同じ大会の決勝(フウガドールすみだ戦)。これは悪い意味で印象に残っています。1-1で延長戦後半まで行ったんですが、自分がビブスを付けたままコートに入ってしまい、パッとコート外にビブスを投げたら、その時に失点してしまいました。すごく悔しくて、一番印象に残っている試合です。

スポーツをしている時、自分の気持ちの高ぶりは相当すごくて、それは観ていても感じます。小学生の時からこのチーム(湘南ベルマーレフットサルクラブ)を観て育ってきて、勝ったら選手と同じぐらい嬉しかったし、スポーツの力ってすごいなっていうことは感じていました。

湘南ベルマーレフットサルクラブ牧野謙心選手

Q 愛川町で影響を受けた人物

「フットサルを始めたきっかけ」でも話した甘利斗亜選手です。中学校の時に町外に引っ越されたのですが、初めてフットサルに誘ってくれたのが、甘利選手だったので、1番影響を受けたと思います。

また、WEリーグINAC神戸レオネッサに所属している箕輪千慧(みのわ・ちさと)選手とは幼馴染なんです。箕輪選手のお兄さんともハリマオサッカークラブで一緒だったので、家族ぐるみで仲が良かったです。

小さい頃の写真には、甘利選手や箕輪選手と一緒に写っている写真があります。

Q 愛川町の思い出

中津第二小学校に通っていた時、休みの日に学校に行って先生たちと遊んだことが印象に残っています。数回程度だったと思うんですが、母が当時の教頭先生の教え子がだったこともあって仲が良かったので、遊んでいたんだと思います。

また、自分には弟がいるんですけど、暇があったらちょっとボール蹴りに行こうって、弟と一緒に家の近くの公園や、内陸工業団地の中にある芝生の公園に行って、たくさんボールを蹴っていました。常にボールを蹴っていたのは大事なことだったかもしれないですね。

今、住んでいるのも小田原なんですが、練習がたまに厚木であることもあって、母が住む愛川町に帰ることもあります。その時、半原の「The PARK」※に遊びに行ったこともあります。すぐそばには中津川も流れていて、すごくオシャレな施設です。小田原と愛川を比べると・・・自然が多いという点では、愛川町の勝ちです(笑)

※「THE PARK」は塩川鉱泉、猪と鮎料理で人気の「観泉荘こまや」の敷地内に2023年3月にオープンしたイベントスペースやドッグランがある施設。毎週水曜日・土曜日、日曜曜日はスケボーパークになる。

ハリマオサッカークラブ

ハリマオサッカークラブに在籍していた時は、ほぼ毎日菅原小学校に行き、練習していました。クラブを退団する時、菅原小学校のグラウンドで、齋藤増雄監督(愛川町スポーツ協会 第5代会長)と2人で話をしたことは覚えています。監督からは熱い言葉をいただきましたが「自分の成長のため」と押し切ったことが、監督との最後のやり取りとして覚えています。

ハリマオサッカークラブの選手

第1号公園多目的広場のサッカー教室(2025年6月28日)に参加するハリマオサッカークラブの団員

Q ホームタウンへの思い

湘南ベルマーレフットサルクラブのホームタウンは西湘地域の3市8町(小田原市、南足柄市、秦野市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町)です。サポーターはFリーグ屈指の数で、皆さんとても熱く、小田原アリーナでのホームゲームはすごく応援してくれるので、とても嬉しいです。

Q 今後の目標

日本代表に入り続けること。難しいことですが、そうなるにはパフォーマンスを常に良い状態にしないといけないので、そこを見据えて、意識していきたいです。

自分が代表で活躍したり、代表に入れなくてもすごく活躍することで、愛川町出身の選手って珍しいと思うので、話題にもなると思います。地元のためにも、愛川町でお世話になったたくさんの方々のためにも、恩返しできればと思います。

湘南ベルマーレフットサルクラブ牧野謙心選手

Q 子どもたちへのメッセージ

一番伝えたいのは、自分に負けないことです。

愛川町に住む子たちは、駅まで行くのに長時間バスに乗らなければいけない時もあって、結構キツイと思うんです。

自分も高校生までは愛川町に住んでいて、大井町にあるロンドリーナの練習場まで行くのに、自宅から本厚木駅までがバスで40分、そこから小田急線に乗って、新松田で御殿場線に乗り換えて…待ち時間も入れると2時間ぐらいかかっていました。

練習が終わって、家に帰って来るのは夜の11時ぐらい。そこから朝起きて学校に行って、友達とも遊べずにまた練習に行くっていうのを繰り返していて、今振り返っても大変な生活で、特にサポートをしてくれた母が1番大変だったかと思います。

そうした中で、遊びたい気持ちになる時もありましたけど、「自分が何を目指しているのか」、「何を一番大切にするか」ということを考えて、頑張ってやり続けてきたからこそ、今の自分があると思います。

今、下部組織のチームに愛川町の子が1人いるんです。その子が「トップチームの謙心君がここに通えたんだから、自分も行ける!」って親に説得したらしくて、嬉しかったです。でも、愛川から通うのは、結構根性が要ると思いますよ(笑)

牧野謙心選手

牧野謙心選手のサイン色紙をプレゼント!!

取材の際、牧野選手からいただいたサイン色紙を2名様にプレゼントします!

希望者は10月14日(火曜日)までに、下記の応募フォーム(e-kanagawa)からご応募ください。

会長三代 ~歴代会長座談会~

2025年6月8日(日曜日)中津公民館(レディースプラザ)に2014年以降の歴代会長が集まり、愛川町スポーツ協会が果たしてきた役割、愛川町のスポーツの課題や可能性などをテーマとした座談会を行いました。

座談会出席者

  • 齋藤 増雄元会長(第5代会長 2014.4~2018.3)
  • 榎本 照夫前会長(第6代会長 2018.4~2020.3)
  • 古座野 君夫会長(第7代会長 2020.4~)
  • 吉岡 去私理事長(ファシリテーター)
~会長三代~歴代スポーツ協会会長座談会

左から齋藤顧問(第5代会長)、榎本顧問(第6代会長)、古座野会長(第7代会長)の歴代会長とファシリテーターの吉岡理事長

1.自己紹介

吉岡 本日は進行を務めさせていただきます。中々こうした経験は無いのですが、どうぞよろしくお願いします。皆さんには、愛川町スポーツ協会(以下「スポーツ協会」)の歩みや今後の役割、愛川町のスポーツの課題や可能性などについて、ざっくばらんにお話しいただければと思います。

はじめに自己紹介を第5代会長の齋藤さんからお話いただければと思います。

齋藤 2014年から4年間、当時は「体育協会」という名称でしたが、その会長を務めました。在任中は色々なことがありましたけど、加盟種目協会の皆さんのために、頑張らなきゃいけないという思いでありました。

吉岡 ご自身の競技種目、現在のお立場などがありましたらお聞かせください。

齋藤 私はサッカーが専門で、町のサッカー協会の設立(1981年3月) に力を注ぎました。かれこれ50年ぐらい、少年サッカーも含めてサッカーに携わっておりまして、その過程の中でスポーツ協会の仕事も仰せつかったという形でした。

ボール1つで遊べるサッカーは、子どもを育て、大人を紳士にし、また子どもに戻す力がある、そんな魅力のあるスポーツです。私が始めた時には、国内ではまだマイナーでしたけど、2002年の日韓ワールドカップ以降、ワールドカップと言えばサッカーだ、という人も増えてきました。

齋藤増雄元会長

吉岡 今でもサッカーをされているんですか?

齋藤 今でも少年サッカーチーム(ハリマオサッカークラブ)の指導は続けています。後期高齢者って名前は嫌いなんですけど、グラウンドに立って、子どもから力をもらっています。

吉岡 ありがとうございました。続きまして、第6代会長の榎本さん、よろしくお願いします。

榎本 2018年から2年間会長を務めました。本日はよろしくお願いします。

吉岡 榎本さんは、スポーツにはどのように関わられてきたんですか?

榎本 私は農業の手伝いもしなければならないような家庭環境だったんですけど、子どもの頃から色々なスポーツをしていました。中学校ではグラウンドも狭く、野球部が無かったんですよ。それでバレーボール部に入って、9人制バレーを高校まで続けました。

就職後の独身時代はスポーツ関係に恵まれていて、軟式野球やソフトボール、それからテニスもやったりしていました。25歳で愛川町に戻って来た頃はスポーツが盛んな地域で、子ども会のソフトボール大会もお付き合いさせていただいたり、体育指導員(現・スポーツ推進委員)もずっとやっていました。

未だに高齢者のソフトボールの登録はしていて、生涯現役で頑張っているところです。

榎本照夫前会長

吉岡 メインはソフトボールということですか?

榎本 そうですね。愛川町ソフトボール協会には長年携わっていて、個性豊かな仲間たちと共に、協会運営に尽力してきました。

吉岡 ありがとうございました。それでは第7代の古座野会長お願いします。

古座野 2018年に常任理事となり、2020年から第7代のスポーツ協会会長を務めています。今3期目で、6年目を迎えました。

吉岡 会長はどういったスポーツをされてきたんですか?

古座野 私は野球一筋で育ちました。先日亡くなられた長嶋茂雄さんは、我々の年代にとってはヒーロー中のヒーローで、子どもの頃から背番号3に憧れていました。辛いことも多かったんですけど、1日中野球の練習をしていましたね。

2011年から愛川町野球協会の会長もやらせていただいています。プレイヤー出身の会長は私が初めてだそうです。今は、若い選手もかなり育ってきていますので、役員なども引き継ぎながら、育てています。

古座野君夫会長

吉岡 ありがとうございます。最後になりましたけど、私からも自己紹介させていただきます。

今、理事長をやらせていただいておりますが、スポーツ協会には随分前から携わらさせていただいています。中学・高校は柔道をやっていて、高校を卒業したぐらいから本格的にスキーを始めまして、愛川町スキー協会の関係もあって、スポーツ協会の理事から関わらせていただきました。

スキーに関してお話しますと、今はインバウンドの効果がすごくて、交通費が高い、宿泊費も高い、リフト券も高いで、中々、一般の人ができるスポーツでは無くなってきておりまして、後継者も育たないところが苦労している点です。本日はこうした感じで進行させていただきます。

2.会長在任中のエピソード

吉岡 会長在任中の思いや苦労したこと、逆にこれは上手くいったということがあれば教えてください。齋藤さんからお願いします。

齋藤 任期中の2015年に協会創立40周年を迎えるということもあり、会長を引き受けた時は、一瞬「大変だなー」という思いが頭をよぎりましたが、創立40周年記念事業を協会一丸となって進めました。

招待者の1人から「小さい町だからそんなに大したことはやれないよなと思っていたけど、しっかりした事業をされてすごかった。」と驚かれました。

振り返ってみると、協会の皆さんと一生懸命やったなと思います。役員の皆さんを中心に、皆さんに尽力いただいたおかげで無事に終了できたと、誇らしい思いがあります。サッカー同様にチームワークの力が発揮され、仲間とつながって成し遂げる楽しさがありました。当時の役員の皆さんには、今でも感謝しています。

スポーツ協会40周年記念講演会

(上)創立40周年記念式典での祝典演奏(東海大学吹奏楽研究会)

吉岡 ありがとうございます。続きまして榎本さんお願いします。

榎本 齋藤さんの任期中は理事長を務めました。創立40周年記念事業も懐かしい思い出です。その後、2018年から後任を引き受け、2019年1月の愛川町一周駅伝競走大会(町一周駅伝)で実施した「町民みなスポーツの町」宣言制定30周年記念事業などにも携わりました。その年の「2019あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル(スポレク)」は台風の影響で中止されたのが残念でした。

年数的には1期2年と短い期間でしたが、次代の古座野会長へとつなぐ“橋渡し役”を意識して、協会運営に当たりました。

町民みなスポーツの町宣言30周年記念事業

(上)「町民みなスポーツの町」宣言制定30周年記念事業

吉岡 ありがとうございます。古座野会長には今協会運営に当たっているんですが、先ほど3期・6年目とお聞きしました。ちょっと長いんですよね。

古座野 会長を引き受けたのがコロナ禍の最中でしたので、最初の2年は町一周駅伝やスポレクなどの大きな行事はもちろん、様々な大会や事業が中止となって、緊急事態宣言の発令でスポーツ施設も休館になって、活動できなかったんです。

そうした中ではあったんですが、町民皆さんにスポーツの力で元気と活力を与えるとともに、目標に向かって頑張っている子どもたちにも励ましのメッセージを送りたいと考え、町出身や町にゆかりのあるアスリートの皆さんから応援メッセージをいただき、情報誌「Sports Aikawa ~健康な光~」の号外版を2020年9月に発行しました。

号外

本協会の名称が「体育協会」から「スポーツ協会」へと変わったのも、同時期の2021年で、「スポーツ」という言葉が広く浸透した時期でもありました。

コロナ禍で日本中がこれだけ変わったというのは初めての体験でしたけど、乗り越えることができたのは、先ほど齋藤さんの話にもありましたが、みんなで協力し合えたこと、「チームワーク」の力が大きかったんだと思います。スポーツ施設を使う時には、マスクをしてもらって極力声は出さないようにとか、大変でしたけど、スポーツをする上での「チームワーク」、「フェアプレー」の大切さを再認識できたように思います。

これから時代も大きく変わっていくと思いますが、こうした経験も糧にして、様々な意味で、協会が大きく発展することを願っています。

2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル

(上)2022年、新型コロナウイルス感染症対策を行った上で開催した「あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル」

3.スポーツ協会が果たしてきた役割

吉岡 スポーツ協会の歩みを踏まえると、歴史的にどのような役割が求められて、またそれにどのように関わってきたのか、役割を果たしてきたのか、何か思いがあればお願いします。

齋藤 スポーツは「楽しむ」ことが前提だと思います。競技者は勝利する喜びとか、負けた悔しさとか、そういったものもあるんですけど、次にまた何とかしたい、何かやりたいって思えることが、すごく魅力なんだと思います。

だから、スポーツ協会が全体として、1つの種目だけじゃなく、「皆で頑張りましょう」と活動することで、町そのものが元気になるとか健康でいられるとか、そういう部分が色々出てくると思います。

「違う種目のスポーツをお互いが理解する」という場面において、スポーツ協会があるというのはポイントで、スポーツ協会が果たしてきた役割というのはすごく大事だったと思います。

吉岡 そういった面では、スポーツ協会は毎年町にスポーツ施設の改善要望を提出していますが、この要望も、各種目協会から出た要望を精査して、スポーツ協会全体の要望として上げています。

齋藤 例えば、1996年に完成した三増公園陸上競技場。400mのトラックで、ピッチは天然芝でサッカーもできる。今も多く活用させてもらっていますけど、横浜や川崎の方から来るチームも、天然芝にすごく喜ぶんです。

三増公園陸上競技場

(上)三増公園陸上競技場

歴代の役員が、各種目協会から出る様々な要望をしっかりまとめ、優先順位をつけて町に要望して、様々な施設が改善されたり、設置されたりして、スポーツ環境が整備されてきました。

そうした面でも、スポーツ協会の50年の役割は極めて高いものがあったと私自身は思います。極めて尊い役割を、スポーツ協会は果たしてきました。

吉岡 確かにそうですね。それぞれの種目で詳しい方がいらっしゃいますから。要望するにしても、何をどう改善して欲しいとか、細かい部分まで要望できるということですね。

齋藤 孫の手じゃないけど(笑)痒い所にも届いたりして。

吉岡 榎本さんはどうですか?

榎本 三増公園については、あれだけ自然に恵まれた中で、色々なスポーツができるので、良い場所に作ってもらって良かったなと思っています。新設された第1号公園の多目的広場も、色々な種目に利用されてもらえればと思います。

第1号公園多目的広場オープン記念

(上)多目的広場オープン記念イベント参加時に撮影

古座野 田代運動公園の野球場が完成したのは、1989年ですかね。硬式の野球場がオープンして、プロ野球の選手も呼んで、非常に活気づきました。この野球場も他所から来たチームには、良いグラウンド、良い球場ですねと褒められますね。やはり都会に行くと、どうしても住居がたくさんあったりするんですが・・・バックが山ですから(笑)

齋藤 ロケーションが素晴らしいです。

ラバーフェンスが回収された田代運動公園野球場

(上)田代運動公園野球場

古座野 田代運動公園野球場ができて、愛川町の野球が変わったんです。というのは、田代運動公園は硬式野球場なので、例えばパスボールをしたら、セカンドランナーはもうホームまで来るんです。でも、第1号公園野球場でパスボールをしても、ネットがすぐ後ろにあるので、ボールがすぐ帰って来るのでそれができなかった。野球を楽しめる幅が広がって良かったと思います。

多目的広場が整備されるまでは、第1号公園野球場は2面ありました。私が野球協会の会長になるまでは、料金の面やチーム数が多かったことなどもあって、ほとんどが第1号公園野球場で大会の試合を行っていたのですが、私が野球協会の会長になってからは、大会の決勝・準決勝は田代運動公園野球場でしかやりません。みんな非常に喜んでいます。オープンから30年以上経ちますが、要望を出していた野球場ラバーフェンスの改修も、昨年度、スポーツ振興くじ助成金も活用して実施され、非常に綺麗にしていただきました。

改修されたラバーフェンス

(上)全面改修された田代運動公園野球場ラバーフェンス

吉岡 町と協会の信頼関係があったからこそ、施設も充実してきたように思います。

古座野 スポーツ協会は町のスポーツ環境を守る存在。各々の立場を汲み取って、みんながスポーツを楽しめる環境を整えることが、本質的な役割だと思っています。

当たり前のことですが、使う側も、プレイヤーとして恥じないように、マナーを大切にして欲しいです。ヤジとか汚い言葉は絶対ダメです。「愛川町のあのチームは見本だね」と言われるような。こうした所はよく見られているのではないかと思うので、大切なことだと思います。

3.愛川町のスポーツの課題

吉岡 ここではまず古座野会長から、愛川町のスポーツの課題と捉えられているところがあれば、お話をいただきたいと思います。

会長三代歴代会長座談会

古座野 我々も団塊の世代で後期高齢者となり、これからバトンタッチということだと思うんでですが、各種目協会の担い手が減少しています。また、会員数もかなり減ってきています。

野球協会で言うと、2004年には64チームあったんですが、今は27チーム。これは愛川町に限った話ではないと思いますが、大谷選手の活躍で野球も結構盛り上がっているんですけど、現状は減っているので、寂しいですね。

吉岡 担い手不足についての話が出ましたが、齋藤さんはどのように考えていますか。

齋藤 結局、要求としてはあるんですけど、自分たちで場面設定をしてやろうという、そうした人が少なくなってきたように思います。

子どもの世界では、指導者と一緒に準備やグラウンドの整備などを一生懸命にきちっとやります。でも、大人の場合になると、色々な調整をして、組み合わせをして、ライン引きをして、そうして9時から始まります、そうしたことが億劫になっているんじゃないかと感じることがあります。

スポーツを「楽しむ」その前に、何が必要なのかという部分が無くなっていて、与えられなければ動かない。そこはちょっと待てよと思いますし、スポーツだけの問題ではないんじゃないかという気がしてなりません。

吉岡 縁の下の力持ちじゃないですけど、前段取りする人は確かに必要ですね。

齋藤 古座野会長から長嶋茂雄さんの話が出ましたけど、私も大ファンだったんです。でも、我々が子どもの頃は、周りは畑ばかりで農繁期には手伝いをさせられたり、そういう時代で、野球のバットだとかボールはなんか、持っていなかったんです。

古座野 無い・・・無かったね(笑)

スポーツ協会歴代会長座談会

齋藤 一番中心に重いものを入れて、それを布切れでくるんで糸をぐるぐる巻いて、「ボール」を作って遊びました。子どもの頃は何をするにしても自分たちで作る、全部そうでした。時代が変わって、全て与えられてしまった。そこが問題なのかもしれません。

古座野 スポレクでスピードガンコンテストの体験に来られた親子がいて、子どもはボールを投げられるんですけど、お父さんが投げられない。子どもの頃に河原で石投げとかやらなかったのかなと話していました。

担い手不足の話に戻りますけど、指導者や審判員もどんどん入れていかないといけません。野球の審判員も減っていて、今、増やしていこうと考えています。協会に加入しているチームには若い人も多いので、選抜で各チームから4、5人集めて、役員として審判員をお願いする形で、主審はまだ無理ですけど、塁審からやってもらっています。審判員には資格が必要なので、資格も取っていただきながら。

吉岡 資格を取るのは難しいんですか。

古座野 審判員の資格はかなり難しいです。資格を取った後も、ルールも毎年変わっていくので勉強していかないといけません。大変ですが、協会の皆で頑張ってやっていこうと思っています。

吉岡 齋藤さん、サッカーはその辺りどうでしょうか。

齋藤 人材をどう育てるのかというところに踏み込んでいると思うんですが、スポーツの環境の課題は2つあると思うんです。1つはスポーツをする場所を確保することです。しかしながら、サッカー協会が天然芝のサッカー場を整備することは無理な話ですし、野球協会だって、どの協会もそうですよね。スポーツ施設は町全体の予算の中から計画的に整備をしてもらっていて、小さい町ですけど、良い環境ができている訳です。

もう1つは、指導者の資質を上げて、良い選手を育てるということです。そこは、指導者自身の努力が必要です。日本サッカー協会の指導者ライセンスは、D級からC級、B級、A級という順序になっていて、その上のProがJリーグの監督ができる資格です。私の少年サッカーチームでは、まずD級ライセンスを取ってもらい、その後2,3名がC級ライセンスを取って指導者の資質を上げ、子どもたちに還元しています。

審判員の資格も計画的に取るようにしています。順次取っていただいて、さらに更新していくということです。

吉岡 榎本さん、ソフトボールはどうでしょうか。

榎本 ソフトボールも審判員のなり手が少なく、高齢になっても審判員をしている人がいます。ある試合では、3塁の塁審が結構な高齢者で、サードライナーが当たってしまったことがありました。慌てて代わりの審判員を出しました。

吉岡 そうしたことがあったりすると、審判員もそれなりの数がいないと困ってしまいますね。

齋藤 増やしていくだけではなくて、そこにフェアプレーの精神を徹底させなければなりません。審判員の資格を取ったから上手く笛が吹けるという訳ではなくて、経験や勇気が必要です。

例えば、ヘディングで行けるところなのに、相手は足を上げてきた。本来はレッドカードだと思うんですが、ただファウルを取るだけという、そういうこともあるんです。 その時、ベンチサイドからガヤガヤ言ってもダメで、審判員も人間ですから、リスペクトする必要があると思います。

古座野 野球だと、昔はベンチから審判員にヤジを飛ばしていましたが、今は退場になることもあります。

齋藤 昔はありましたね。

古座野 今は絶対ダメです。去年も審判に対する暴言で即退場になり、そのチームは次年度出場停止になりました。本人はそのつもりで言った訳じゃないと思うんですが、やはりマナーが悪いのはダメです。審判にしても屈辱ですし、周りの空気も悪くなります。だから徹底して処分するんだと思います。

齋藤 大谷選手の試合を観ていて、明らかにボールをストライクと取られたんですけど、大谷選手もベンチサイドも何も言わない。ネットニュースでも「あれはボールだよね」って書かれているんですけど、審判員へのリスペクトがすごいなと思いました。

吉岡 スポーツマンシップが大前提となりますね。

4.愛川町のスポーツの可能性

吉岡 前のテーマの最後に、スポーツマンシップという言葉を出しました。愛川町のスポーツの可能性というところで、スポーツマンシップはもちろんそうだと思いますが、これから若い世代に向けてこういった可能性を見出したいとか、可能性が感じられるとしたら、どんなところでしょうか。古座野会長からお願いします。

会長三代~歴代会長座談会~

古座野 愛川町は外国人住民の数が多くて、町民の10人に1人は外国人住民と言われていて、子どもも結構な人数になると思います。

外国人住民の方に消防活動を行っていただく多言語機能別消防団の創設は、テレビ番組でも報道されていて、町外の方から、愛川町では外国人住民の方も消防に協力しているんだねと感心されました。

多言語機能別消防団

皆さんの経験の中で、スポーツに外国人住民を受け入れている事例はありますか。

齋藤 神奈川県内陸工業団地に、南米から日系人の方がたくさん来られた時期がありました。彼らにとってはサッカーが生活の一部で、日本でもサッカーをやりたいという方々がいたので、リーグに加盟してもらいました。

実際にやってみると、本当の草サッカーというか、サッカーの質が違うんです。中には結構なレベルでやってた人もいて、違うなと思いました。

今はリーグでの交流は途切れてしまっていますけれど、私の少年サッカーのチームでは、ペルーやアルゼンチン、ボリビア、ドミニカ共和国などの子がいますね。外国からやって来た人たちと我々とが、サッカーを通じて、色々なコミュニケーションができるということは、スポーツの大事なポイントだと思います。

吉岡 違うのは国籍と言語だけですしね。子どもたちはどういったきっかけでチームに入るんですか?

齋藤 子どもは学校に行くと日本語を覚えるし、友達がサッカーをしていれば、自分もやりたいと親に話すと思うんです。

今日相談に来た外国人の親子は、親は週末に仲間同士でサッカーを楽しんでいて、だから子どもにも楽しませたいという発想なんですね。そういった希望の受け皿になることは、大事なことだと思います。

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(上)「2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル」で愛川町在住のサンバダンサーを講師に招き行ったサンバダンスのレッスン

古座野 時代も変わって、野球協会の学童部には女子も多く、男子より上手い子もいます。近隣の市では女性の審判員がいたり、女性チームがあったりして、レベルの高い選手も多い。女性の活躍にも期待したいです。

榎本 ソフトボール協会でも一時期は女性選手がいましたが、今はいなくなってしまいました。

吉岡 ソフトボールはオリンピック種目になったりならなかったり。そうした影響もあるんでしょうか。

齋藤 可能性の中で重視したいことが2つあります。1つはリーダーシップです。各種目協会の所属チームのリーダーの方が、頑張ってチームを引き継いでいることが大事だと思います。リーダーには色々な思いがあると思うんですけど、どうしたらより良い方向になるかということを想像すれば、もっと発展していくと思います。

それは健康にもつながって、町が活性していくことにもつながってくるのかなと思います。だからスポーツの力って、長嶋さんや大谷選手のような大活躍する選手の力も大事ですし、一方で底辺の我々が頑張って行くこともとても大事なことで、リーダーの方は誇りを持って良いと思うんですね。

もう1つは、学校開放が上手く機能していることです。都市部では活動場所の確保が大変なチームもある中で、教育委員会の学校開放という仕組みの中で手続きをして利用させていただいている。スポーツはいくら人数が揃っても、行う場所がないと、施設がないとできないんです。ストリートでやるというのも大変ですから。

だからこそ、借りる方もしっかりルールを守って、今の環境が維持されていけば、まだまだ愛川町でも、スポーツを存分に楽しめると思います。

4.未来の人材を育てるには

吉岡 人材の育成というところで、私は県のスキー連盟役員もやっていたんですが、特にスキーは中学や高校まで一生懸命やっていても、その後が続かない人が多い印象を受けました。未来の人材を育てるためには、どうすれば良いと考えていますか。

スポーツ協会歴代会長座談会

齋藤 将来プロ選手になることは、宝くじに当たるより難しい程の世界ですから、スポーツを通じて学んだことが、社会人になってからの糧になれば良いと思います。あの時、ここまで頑張ったんだから、この仕事だって頑張ろうかという風になっていけば良いかなと。それでまた、スポーツの応援者になってもらえたら嬉しいです。

今、私の少年サッカーチームもOBが指導者として帰ってきていて、すごく良いなと思っています。もう1つは、卒団した子が親になって、子どもをまたチームに入れる。そんなケースも大分増えてきました。

吉岡 歴史があるチームはそういった流れもできてくるんですね。

齋藤 目先の短い期間ではなくて長い目で捉えたいです。何度も言いますが、「楽しむ」ことが大前提なので。

吉岡 「楽しまなければ」ということですね。

齋藤 そこがキーワードだと思います。そうした中で、スポーツ協会は、レクリエーションや軽スポーツ団体も含めて構成していることが特徴であると思います。これは素晴らしいことだと思っていて、スポーツを広く捉えるということは大事で、これからも考えていかなければと思います。

吉岡 古座野会長はどういった点が大事だと思いますか。

古座野 子どもが伸び伸びとスポーツができる環境を守っていくことだと思います。今、中学校の部活動のあり方について検討されていますが、少子化や指導員の確保、教職員の負担など、様々な課題があることを感じています。

齋藤 子どもが体を動かす場所は、無くてはならないもので、中学校の部活動もその一つだと思います。近隣では、サッカー部をクラブが指導しているところもおあります。地域のスポーツ団体やスポーツ協会が果たす役割は、今後高まっていくものと考えています。

5.次世代へのバトン。未来に伝えたいこと。

吉岡 最後のテーマとなりますが、スポーツ協会の今後の展望とか、若い世代に望むこととか、自由にお話をお聞かせいただければと思います。齋藤さん、いかがですか。

齋藤 スポーツの語源はラテン語で、「日々の生活から離れる」といった要素を指します。「仕事を離れて楽しくスポーツしよう」ということです。

以前、故・岡野俊一郎さん(元JOC役員・元日本サッカー協会会長)の講話で、スポーツは生活に無くてはならないものの1つで、「スポーツ文化である」という話を聴きました。日本のスポーツはどうしても根性論の話題が出てくるんですけど、そうでは無くて「スポーツ文化である」という考えです。

つまり、そこに行けば仕事を離れて楽しめる、そこからスタートしていくことが、スポーツを普及させていく原動力になるのではないかと思います。

齋藤増雄元会長

吉岡 本協会の名称が、2021年に体育協会からスポーツ協会に変わったことにもつながるように思います。

齋藤 名称変更したことは良かったと思います。当然、勝ち負けはありますけど、それだけに一喜一憂しないで、生きていく上での充実感というものがあります。岡野さんが「スポーツ文化である」と言われたことに、私はすごく共感しました。

50年以上サッカーに携わっていますが、せっかく携わってきたんだから、もう少し頑張ろうかなという思いを持ちながらやって行こうと思います。若い世代にもそんな話をしながらね。

愛川町は「町民みなスポーツの町宣言」もしていますし、スポーツで町全体が盛り上がるようにしていくことが大事だと思います。スポーツで町全体が盛り上がるようにしていくことが大事だと思います。

古座野 昨年のスポレクは過去最高の人出で、大勢の方に楽しんでいただきました。その中で、元プロ野球選手で愛川町出身の村中恭兵さんをお呼びしました。丁寧にボールを持って、ボールは耳の横に手を持っていきなさいというような、基本を教えてくれました。30人以上の子どもが集まったと思うんですけど、ひとりひとりに教えてくれたんです。

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(上)「2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル」村中恭兵さんの野球教室

また、村中さんが実際にボールを投げた時は、投げ方もスピードも違うから、野球協会の学童部の子たちは「すごいな」と驚いていました。最後はサインもして、写真を撮ってくれて、保護者も喜んでいました。一流のアスリートと交流する機会を作っていくことは大事だと思いました。

吉岡 スポレクの話題になったので、私からも。運営側なので、中々他の種目に参加することができないんですけど、毎年やってもいいんじゃないかと思うぐらい、良いイベントだと思っています。

昨年のスポレクで私はモルックをやったんですが、自分がやったことのない種目を体験できるというのは、すごくいいことだと思っています。SC相模原も参加されていて、連れてきた子どもたちに、サッカー体験とまではいかなくても、キックターゲットで気軽にボールを蹴らせてみるとか、すごく良い環境だと思いました。

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(上)モルックを楽しむ子ども

古座野 スポレクは今後も、スポーツ協会が担い、続けていって欲しいです。色々な種目を体験できるので、親子で参加してもらって、私は走るのが得意だなあと気づいたり、この子は走るのが得意そうだなと長所を見出してあげることも大事です。見出した長所は伸ばしあげて欲しい。

2024あいかわスポーツ・レクリエーション・フェスティバル

(上)10mダッシュに挑戦!(陸上競技協会)

吉岡 榎本さんはいかがですか。未来に残したいこととか、こうしたことは継続していって欲しいみたいなことはありますか。

榎本 長年、地域のソフトボール活動に関わってきましたが、今あるソフトボール場は、雑草が生い茂っていて、不法投棄も多かったんです。そこを地域の先輩たちと、先輩たちが勤めていた会社からブルトーザーなどの重機を持ち寄って平坦にして、ソフトボール場として整えた若い頃の経験は、スポーツに携わる自分の原点だと思っています。地域で大切に管理してきた歴史も伝えていきたいです。

吉岡 スポーツ協会についてはいかがですか。

古座野 各種目協会の方々には、一生懸命フォローをしていただきながら、スポーツ協会を盛り上げていただいています。チーム数、会員数の減少などで、各協会苦労する面が多々あると思うのですが、この基盤だけは、きちっと守っていきたいです。当たり前のことですが、未来に向けて、しっかりとやっていくしかないと思います。

齋藤 スポーツをやっている者として思うことは、「老若男女問わず皆でスポーツに親しんで行こうよ」って、各種目協会はそんな思いを持って、頑張って活動を継続していく。それしかないと思うんです。

スポーツ協会は大きな組織でもなく、コミュニケーションが行き渡りやすいところだと思うので、創立50周年が、役員や会員皆さんが、これからも頑張ろうとか、愛川町がスポーツを皆で楽しんでいけるような、もっと「ええ町」にどんどんして行こうっていう、きっかけとなれば嬉しく思います。

吉岡 貴重なお話をありがとうございました。今後も、会長と協会運営をしっかり行います。これからもご指導よろしくお願いします。

会長三代~歴代会長座談会~

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