八菅山修験道旧跡

更新日:2023年03月01日

八菅山修験道旧跡(愛川町指定史跡)

八菅山一帯は古くから、神仏混淆(しんぶつこんこう)の信仰の聖地でした。

日本武尊(やまとたけるのみこと)、役小角(えんのおづぬ)、行基(ぎょうき)などの来山が伝わっています。また、源頼朝や足利尊氏・持氏による堂社建築や整備が行われたといわれています。

永正年間(1504~1521年)の兵火による荒廃後、天文10年(1541年)に遠山甲斐守綱景が社殿を再建。貞享4年(1687年)、京都・聖護院(しょうごいん)の直末寺(じきまつじ)となり、本山派修験(ほんざんはしゅげん)の一拠点となりました。

回峰修業(かいほうしゅぎょう)は春と秋に、八菅山と大山の間の峰々で行われていました。山内には七社権現(しちしゃごんげん)と別当光勝寺(べっとうこうしょうじ)の伽藍(がらん)の他、五十余の院・坊がありましたが、明治時代の神仏分離令により光勝寺は廃され、七社権現は八菅神社と改称、今日に至っています。

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