【あいかわ景勝10選・5】三増合戦碑と志田峠
1569年(永禄12年)、甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦を繰り広げた「三増合戦」を記念して、「三増合戦場碑」が400年後の1969年(昭和44年)に、建立されました。 「三増合戦(三増峠の戦い)」は、1569年(永禄12年)10月、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康の軍が戦った、戦国時代の中でも名高い山岳戦です。史書「甲陽軍艦」には、戦死者は北条方3,269人、武田方900人と記されています。 合戦の序盤は、北条綱成が指揮する鉄砲隊の銃撃により、武田軍左翼の侍大将・浅利信種が撃たれるなど、北条軍が有利に経過しました。しかし、武田軍の山県昌景率いる五千の精兵が高所から奇襲に出ると戦況は一気に傾き、北条軍の後軍が間に合わなかったことも影響して、最終的には、武田軍が勝利したそうです。
更新日:2023年03月01日